色々と

学術に関する事を記したり記さなかったり

巨人の肩の上に立つ

「今日投稿しよう」と思いつつ編集作業をしていたらついに年を越しました。
あけましておめでとうございます。
浅学ながら学問についての記事を書いて行きますが、訂正箇所等があればご教示頂けると幸いです。
そして今年もよろしくお願いいたします。これからも良い日々が続きますように願っております。

 

さて、本記事は前回に書いた「自然科学系の何か」の続きである。

 

rabdoslogos.hatenablog.com

 

 

 前回予告したとおり、「巨人の肩の上に立つ」から話を始める。

キーワード:巨人の肩の上に立つ

 

 自然科学の歴史については、以下の段階的な発展があると言われている。

  1. 現象や物質、生物などを発見・観測し、記録
  2. 記録を整理し、分類
  3. 原因・原理を説明する仮説・検証・法則を観取
  4. 法則に基づいた予測及び観測に依る検証

*1

 この段階的な発展は自然科学の研究において、全てがこの順で進行している訳ではない。しかし、研究の現場では複数の段階が同時進行している事が多いかもしれない。だが、各段階が不十分な状況において、その先の研究が好ましい方向に進むことはない。
 これらを確かに進めていくならば、ある程度精度が保たれた記録の蓄積が必要であり、過去の天動説と地動説の議論がそれを体現している。2000年を過ぎた現在では「当時は記録が足りなかった為、提案された様々な天体運行モデルは不十分である」とまとめる事ができるが、当時の科学者にとってはその時点で得られているデータを基に可能な限りの考察及び議論が精一杯だったと考えられる。天動説と大きく言っても、中には記録に依らない思弁の発想に基づいたり、観測した記録から能う限り論理的に説明しようとしたものまで様々である。記録と論理に基づいてるのであれば、自然科学における進歩の段階として結果的に間違っていようと馬鹿にはできない。現代の自然科学でも同じ状況にないとは限らない事を意識している。研究テーマの規模や性質に依って段階を絞って研究したり、全ての段階の研究を行い、研究成果を導く場合もある。

 さて、今回の題である「巨人の肩の上に立つ」の話に戻る。これは、研究成果の継承であり、"Standing on the shoulders of the giants"(巨人の肩の上に立つ)という例えを用いる事がある。

その意味するところは、偉大な先人たちの業績や先行研究などを巨人に喩えて、現在の学術研究の新たな知見や視座、学問の進展といったものもそれらの積み重ねの上に構築され、新しい知の地平線が開かれることを端的に示した言葉とされる。

(レファレンス協同データベースより(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000151707))

 意味はレファレンス協同データベースより引用した一文が全てである。リンク先には回答プロセスや参考資料が記述されているので、参考にしてみるのも良いと思う。
 自然科学では、研究や成果、仮定などが、この「巨人」を構成する一部分であるという事を意識して行う必要がある。そして、後世に情報が正確に伝わるように、言葉の定義や数式に依る表現が重要であり、曖昧である定義や言葉は後世の研究者に対し誤解を与える可能性がある。
 それらを避ける為に専門用語などが増えてしまい、堅苦しい表現や数式が沢山出てくる結果となっている。これにより、自然科学がとっつきにくい原因になっているのである。しかし、先に述べた「巨人の肩の上に立つ」には必要な関門であり、これを突破した際に得られるものは凄く大きいのである。肩まで立たずとも、巨人の手に乗るだけでも地上とは違う景色が全く違うモノになるだろう。
 如何に小さい成果であれど、積み重ねられた言葉や定義を使い、自身の得た考えによって書かれた成果や結果は価値がある。それを論文として書けば、それは巨人の身体の一部を構成するものとなり、更に後世の化学の発展に繋がるものである。

 以上が「自然科学系のなにか」の道筋である。
此処から先は自然科学の各分野についての話しか出来ないと私は考えている。
気が向けばココから先、自身が学んでいる宇宙・地球科学、生物学、化学等のガイドについて記述するかもしれない。

 

 

 次の記事は

 

rabdoslogos.hatenablog.com

 

*1:放送大学教材の「自然科学のはじめの一歩」では
"1.記載とコレクション,2.分類と「図鑑」の作成,3.一般化と体系化,4.予測と検証"
と分けられていたりする